10月14日

 

 国立極地研究所・総合研究大学院大学の片岡龍峰准教授と国文学研究資料館の岩橋清美特任准教授から成る研究グループは9月20日、江戸時代の古典籍に残るオーロラの記録から、明和7年7月28日(1770年9月17日)に史上最大の磁気嵐が発生していたことを明らかにしたと発表した。

 

 太陽で爆発(太陽フレア)が起こり、大量のプラズマが太陽磁場とともに放出されて地球に到達すると、地球の磁場が一時的に弱くなる「磁気嵐」が起こる。オーロラは磁気嵐によって引き起こされるが、大きな磁気嵐のときには、地球極域のオーロラが活発になるだけでなく、低緯度の地域でもオーロラが見られることがある。

 

 研究グループは京都市伏見区の東丸神社に所蔵されている東羽倉(ひがしはくら)家の日記から1770年のオーロラの記録を発見し、その日記の記述をもとに京都からオーロラがどう見えるかを計算した。その結果、「星解」(せいかい)という別の古典籍に描かれたオーロラの絵図の形状を再現することに成功した。また1770年の磁気嵐は、これまで観測史上最大と言われていた1859年9月に発生した巨大磁気嵐(キャリントン・イベント)と同等か、それ以上の規模であったと推定されるとしている。キャリントン・イベントは太陽フレアを目撃、報告した天文学者の名前に由来し、青森県弘前市や和歌山県新宮市でもオーロラが見られた記録が文献に残っている。

 

 日本の古典籍「星解」には、山から放射状に吹き出すような形のオーロラの絵が描かれている。1770年9月17日の深夜に見られたもので、説明文には「北にある若狭の国で火事が起こったのではないか」と記載されていることから、京都から見えたオーロラを描いた絵図だと考えられている。絵図の中には、赤い筋の中に、さらに赤い筋があるという細かい構造(当時の言葉で赤気(せっき))も描かれている。さらによく見ると、オーロラの下の部分や、西や東の端が黒っぽく描かれていることもわかる(画像1)。

 

 片岡准教授は、東羽倉家の日記の記述をもとに、京都からのオーロラの見え方を計算した。日記には「オーロラが天の川を貫いた」という記述があり、この日の天の川が京都の天頂付近に位置していたことから、オーロラが京都の天頂にまで広がっていたと仮定し、京都から見たオーロラを再現した。その結果、「星解」の絵図とほぼ同じ形が得られた(画像2)。このことは、この仮定がほぼ正しく、この時に京都から見えたのは遠くの空に輝くオーロラの末端ではなく、京都の天頂近くまで広がった巨大なオーロラだったことを示していると結論付けた。

 

 

画像1 : 「星解」に描かれた1770年9月のオーロラ。松阪市郷土資料室所蔵。三重県松阪市提供。

 

 

画像2 : 1770年9月17日に京都で見られたオーロラの形を再現したもの。京都上空では地磁気の磁力線が約45度傾いており、オーロラが磁力線に沿っていたと仮定。さらに赤いオーロラの典型的な高さ(下端が200 km、上端が500 km)を仮定。縞の間隔は、スパイラルパターンとして知られている100 km間隔に設定した。