7月18日

 

 

 理化学研究所の横倉祐貴上級研究員を中心とする共同研究チームは8日、量子力学と一般相対性理論を組み合わせて、物質の量子力学の効果を含むアインシュタイン方程式を解いた結果、ブラックホールは、イベントホライズンを持たない高密度な物体であることが判明したと発表した。またアインシュタイン方程式を解いた解は、ブラックホール内部の物質と時空を直接記述することができるため、内部に入った物質の情報を追跡できる。そのためブラックホールが情報を蓄える大容量情報デバイスとして活用できることが期待できるとしている。

 

 質量(エネルギー)を持つ全ての物質は、万有引力によって互いに引き合っている。そのため物質が集まり非常に高密度になると、自身の重力に耐えきれずつぶれていく。その結果として作られる物体がブラックホールである。重力を時空の曲がりとして記述する一般相対性理論のみを用いてブラックホールを説明すると、ブラックホールは重力が非常に強いため時空が極端に曲がった、光さえも脱出できない真空の領域であるということになる。ブラックホールとその外側の境界を「イベントホライズン」といい、その半径はブラックホールのもととなった物質の質量(エネルギー)で決まり、「シュワルツシルト半径」と呼ばれる。

 

 ところで、物理学において私たちの世界は、時空を記述する一般相対性理論と、物質を構成する電子や陽子などの微視的な物理現象を記述する量子力学の二つの理論によって記述される。したがって、重力が強く物質から作られるブラックホールに対しては、一般相対性理論だけでなく量子力学も重要なはずである。

 

 量子力学の効果が加わると、ブラックホールの様相が一変する。曲がった時空の持つエネルギーと真空の量子力学的効果によって、ブラックホール近くの真空から光の粒子(光子)が作られ、徐々に放出される。これを「ホーキング輻射」という。ホーキング輻射により、ブラックホールの質量は徐々に減っていき、最終的には蒸発してしまうと考えられている。またブラックホールの蒸発後、内部の情報である光子はイベントホライズンに閉じ込められ出てこられないにもかかわらず、ブラックホール自体は蒸発により消えてしまうため、情報は消失するように思える。もしそうなった場合にこの現象は「情報は必ず保存される」という量子力学の原理に反することになる。これは「情報問題」と呼ばれ、現代物理学における大きな未解決問題の一つである。

 

 今回、共同研究チームは、ブラックホールの形成段階から蒸発の効果を直接的に取り入れた理論的解析を行い、「物質の量子力学の効果を含むアインシュタイン方程式」の新しい解を得た。その結果ブラックホールはイベントホライズンを持たない高密度な物体であることがわかった。この描像は以下の通りである。

 

 球状の物質でこの過程を考えてみる(図1A)。連続的に分布した球状物質を、たくさんの球状の層の集まりと見なす(図1A1)。そうすると各層は、多くの粒子から成るはずである(図1A2)。その中の一つの粒子が重力により引かれ、中心に落下している様子を考える(図1A3)。その重力は、粒子より内側にある物質のエネルギーによって決まる。そのエネルギーに相当するシュワルツシルト半径(図1A3の赤い破線)は、ホーキング輻射によりエネルギーが減っていくために時間とともに小さくなる。このとき、落下してきた粒子がシュワルツシルト半径の近くまでやってくると、落下と蒸発の効果が釣り合って、蒸発が先に生じている分だけ、粒子はシュワルツシルト半径に届かない(図1A3)。その結果、粒子はシュワルツシルト半径を通り越さず、そのわずかに外側のある所に近づいていく。これと同じことが球状物質のあらゆる所で生じ、この物質全体は収縮して、中身の詰まった高密度な物体ができあがる(図1B)。特に、最も外側の層を成す粒子たちは、全エネルギーに相当するシュワルツシルト半径のわずかに外側の所に近づいていくため、それがこの高密度な物体の表面になる。このイベントホライズンを持たない高密度な物体がブラックホールである。表面の半径とシュワルツシルト半径の差がわずかであるため、外からは、これまで考えられてきたブラックホールのように見える。そして、非常に長い時間が経過した後、最終的には蒸発していく(図1C)。

 

 また図1のAからBは、重力が極限的に強くなり物質が「凝集する」過程であり、それは水分子が水蒸気(気体相)から水(液体相)になる過程に似ている。また、BからCの蒸発過程は、逆に水が水蒸気に変化することに相当する。この現象は、万有引力により全ての物質に対して普遍的に生じる。その意味で、ブラックホールとは、あらゆる物質が強い重力下で極限的にとる状態、すなわち「ブラックホール相」だともいえるとしている。

 

 またこの解では、物質がブラックホール内部にどのように分布しているのかが分かるため、その情報(量子力学における波動関数(物質がある領域において存在できる確率の基となる波))がどこにあるのかを特定することができる。実際に、情報が内部で取り得るパターンの総数(情報量、エントロピー)を調べると、それは熱力学から導かれる結果「ベッケンシュタイン・ホーキング公式」に一致することがわかった。

 

 観測面からみると、蒸発するブラックホールは通常の星のように表面を持つため、イベントホライズンを持つ従来のブラックホールとは、天体現象の信号が異なるはずである。将来の観測技術の向上により、その違いが確認され、この理論が検証されることが期待される。また蒸発するブラックホールの情報がどのように戻って来るのかが今後明らかになれば、遠い未来ではブラックホールが大量の情報を保存する情報ストレージとして活用できるかもしれない。本研究成果は、このような「ブラックホール工学」の基礎理論になると期待できるとしている。

 

 

図1 ( C ) 理化学研究所